ダダモレ。

広告会社ではたらく26歳女子のひとりごと。未来はまだまだ見えませんが、きょうも、どうにか、生きています。

きらめきスイッチ

先日、穂村弘さんのエッセイを読んでいて

こんな文章が出てきた。

 

胃に影があります、と云われた。驚く間もなく、精密検査を受けて下さいと指示されて、胃カメラを飲むことになった。再検査の日まで、不安で何も手に付かない。(中略)やがて再検査の日がやってきて、結果は特に問題ありません、とのことだった。

(中略)

恐怖から解放された私の目に、世界は限りなく美しい。こわいものは何もなく、とても自由だ。このまま、このきらきらした透明な気分のまま、行きて行けたらどんなに素晴らしいだろう。だが、そういう感覚は長続きしない。心配ごとのない日々が再び始まって、私はたちまち元のどんよりした感覚に包まれてしまう。・・・(後略)

 

これを読んで思ったことと、

下の動画を見て思ったことがリンクした。

 


Sweet Baby Experiences Rain for the Very First Time ...

 

なんでもないこの世界だけれど、

なんでもないと思っているのは

あくまでもここから見ているからであって、

視点がすこし変わるだけで、

なんと美しくなるんだろうか、と。

 

(しかし、ああ、なんてかわいいんでしょう。

 人間は、雨を見て、こんなに感動するものなのか。)

 

わたしは、

わたし自身が初めて雨を見た日のことなんて

とっくに記憶に残っていないし、

まだ死に直面したこともないし、

 

普段の生活の中では、

こんなふうに世界に感動することって

そうそうない。

 

 

たぶん、

彼・彼女の感動は、

わたしがウユニ塩湖やカオプラヴィハーンで得た感動に

近いものなんだろうなぁ。

 

 

 

でも、

本当は地球の裏側になんか行かなくても、

見方をずらすだけで、

世界はもっと、きらめきだすのだ。

 

そのスイッチは、

自分の手の届くところにはないけれど。

 

きっと、ふとしたきっかけで、

パチっ、と、

切り替わるものなんだなぁ。

 

 

穂村さんも、そのエッセイの中で書いていたけれど、

このどんよりとした世界の裏側には、

この、きらきらした世界が貼りついている。

 

パラレルワールドのようなものだ。

 

この瞬間に、

世界に無感情な自分と、

心をときめかせる自分の両方がいて、

いま表に出てきているのは、

無感情な自分。

 

たまにスイッチがきりかわって、

ひょっこりと、世界にときめく自分が出てくる。

 

 

 

 

一日一日を大切に。

とか、簡単にいうけれど、

そんなこと、普通に生きてたら考えられない。

 

 

 

 

だけど、本当は、

ずっとときめいていたいんだよなぁ。

 

 

 

結論なき、ぼやき、なのでした。