ダダモレ。

広告会社ではたらく26歳女子のひとりごと。未来はまだまだ見えませんが、きょうも、どうにか、生きています。

一喜一憂

「一喜一憂」という言葉は

 

ときに、

無駄なこととして、

表現される。

 

「そんなことで一喜一憂しても仕方ないよ」

 

とか。

 

「バカだなぁ、また一喜一憂しちゃって」

 

とか。

 

 

 

本質じゃなくって

表面的で一時的な

言葉とか仕草とか評価とか

 

そういう移ろいやすい

不確実なものを

 

ずどんと真に受けて

 

自分の心を動かして

 

疲弊させることは

よくないことなんだって、

 

そういう文脈で使われる。

 

 

 

 

今日は、「一喜」した日だったなぁ。

 

クライアントさんに、

このコピーはさすがプロですね、と、

「お買い上げ」してもらえた。

 

(先輩がいたので、

 自分が書いたとは言えず、

 むしろ先輩の書いたものになっていて

 しょうじき複雑だったけれど)

(でも、あの先輩も、たぶんまだ「途上」なのだ、きっと)

 

 

 

一喜一憂は、疲れるけれど、

 

また、いつ「一憂」がやってくるか、わからないけれど、

 

 

 

この喜びは、だいじに、だいじに、

自分のこころをあっためるために

使っちゃってもいいよね。

いいよね。

 

 

 

 

一喜をひとりじめして寝よう。